このところ、毎日とはいかないまでも
お世話になった方と別れのご挨拶を
交わしています。ある人とは直接お会いしたり、
別の方とは、手紙を頂戴し、いただいた
言葉に恐縮したりです。
いま新幹線で
新大阪に戻る途中ですが、今日家を出て、
朝焼けを眺めながら駅へと自転車を走らせました。
早く起きて東京への出張をするのも今日が最後
なんだなぁ~と、夕焼けから更に暗くなった車外を
見ながらしみじみしています。多くの方に
助けていただいた2年半でした。
妻もママ友の方々や、その他お世話になった方
に同様の気持ちだと思います。
Jr.はどうでしょう?当然まだ友人や知人を認識する
フェーズではないのですが、カラスや近くの池の
鯉だったり、頬を駆け抜けた風などが知らず知らずですが
彼にお別れをしてくれているかも知れませんね。
2年半の関西勤務を終えて、東京に戻ることになりました。
この間、大きな転機となったのは、Jr.の誕生です。
彼にこの山あり、海あり、自然豊かな(そうそう
駅前でイノシシと遭遇したこともありました)神戸周辺の街並みを
実感させてあげられないのは残念です。
でもきっと、将来、Jr.が歩けるようになったら、また訪れる
ことでしょう。
ここ神戸のさわやかな空気を吸ってきみは産声をあげ、
生まれてきたんだよと教えてあげるつもりです。
星のや京都が2009.12に京都嵐山にオープンするそうです。
休業中の老舗旅館を改装してのスタート。
http://kyoto.hoshinoya.com/concept.html
ページ冒頭の星野氏のコメント
「もっと日本らしさを大切にしながら近代化するルートを
歩むことができたなら、私たちの生活や周りの風景は
どうなっていたであろうか」
このコメントにかなりグッときました。
この星のやは渡月橋のたもとに
上がり桟橋があるようでここから宿に手漕船でアプローチするようです。
宿にあがる前から既に非日常の演出が施されています。
氏のコメント以上に、感動を得たのが10/1の広島地裁の判決。
場所は広島県鞆の浦。
ポニョの舞台がこの鞆の浦だったことで、関心が全国区になった場所と言った方が
わかり易いかも知れません。
県が押し進めようという湾の一部埋め立て・架橋計画を地域住民が反対し、
差し止め請求を出していました。昨日の結果は、広島地裁が広島県知事に免許差し止めを命じました。地裁が景観を「国民の財産」と判断し、景観を理由に公共事業の差し止めが認められるのは初めのこと。
この判決は非常に大きい意味を持ちますので、これからの地域開発の1つの試金石になることでしょう。
私も関西にくるまで聞いたことがない地名でしたが、以前から興味を持っておりいろいろ調べました。
鞆の浦は、
仙酔島、大可島、玉津島などが防波堤となった天然の良港というだけでなく、潮待ち港でもあったのです。瀬戸内海で、紀伊水道と豊後水道の中間に位置し、東と西から満ちてきた潮はちょうど鞆の沖合いで出合います。東西から満ち潮に乗ってきた船は、鞆で潮待ちをして、引き潮に乗って東西に分れ航海していきます。これが、古代から近世まで変わることなく瀬戸内海航路の重要な位置を占め続けてきた理由です。
(「鞆の世界遺産実現と活力あるまちづくりをめざす住民の会」を支援する会HPより)
”潮待ち”とは!何とも幻想的です。
また港の代表的な施設の雁木(がんぎ=船着場)、常夜燈、波止、焚場(修理場)、船番所が5つフルセットで残っています。これ日本でも唯一なんです。他の歴史ある港も5つフルでは残っていません。
ユネスコの諮問機関である国際記念物遺跡会議(イコモス)は2005年と2008年、埋め立て・架橋計画の中止や歴史的港湾、町並み保存を求める総会決議を実施。つまり世界が残してくれと切望し、県が過疎化や町の利便性を盾に埋め立てをしようとしていたわけです。
反対派は山側にトンネルをつくり、渋滞緩和などを進めるべきと主張、県はなぜか、これだけ貴重な古港がありながら、山側の工事は認めず埋め立て、壊したら二度と戻らない瀬戸内の風景を台無しにしようとしていました。
山を崩し、海を埋め、景観を台無しにしてローラで整地し、コンクリで固め、
どこにいっても同じような街を生み出してきた戦後の日本の国土。もうこれ以上壊さないでというのが率直な気持ちでした。
原告団長 大井幹雄氏の地裁への
「日本の美しい国づくりのバロメーターとなるべく審判を仰ぐに到った」
と記載されている意見陳述書はすばらしい内容でした。
一度ご一読ください。
http://tomo-saiban.net/download/ooi01.pdf
Jr.が大きくなったら鞆の浦に家族と訪問したいです。